わたしたちの日本基督教団は、第二次大戦下の1941年6月、「宗教団体法」のもとに、30余派の福音主義教会の合同によって成立し、今日に至っています。教会合同は、早くからの日本の教会の願いでしたが、この合同は、当時の国家の宗教統制によるものであり、教会的な祈りと決断によるものではありませんでした。それによって、組織としての教会は保たれましたが、教団は、天皇を中心とする国家に奉仕する教会となり、神ならぬものを神とし、戦争に協力する数々の過ちを犯しました。
敗戦後、教団は、まず主なる神の前に悔い改めて、新たな出発をすべきでしたが、戦後復興の道を急ぐあまり、過去の清算がなおざりにされました。
戦後22年を経た1967年3月、教団は「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を、鈴木正久議長の名で公にしました。この「戦責告白」は、アジアの諸教会との和解の道を開き、敗戦によって分断された沖縄キリスト教団との合同の契機となりました。しかし、教団の罪責は、戦争責任だけはなく、教会のあり方全般に関わるものであり、なによりも主なる神の御前(みまえ)に、主体をかけて懺悔告白しなければならないものです。
わたしたちは、日本基督教団に属する「肢(えだ)」として、教団の犯した罪を、主なる神の御前に心から懺悔告白し、共に、明日の教区・教団の形成のために祈り努めたいと願います。
1) わたしたちは、聖書に証しされた唯一の神を信じ、イエスを主と告白する信仰に立ちながら、天皇を神とする国家体制を容認し、天皇を拝し、神社参拝をするなどの過ちを犯しました。ことに、神にのみ献げるべき礼拝において、君が代斉唱、宮城遥拝などを「国民儀礼」として取り入れ、これらの「偶像礼拝」を朝鮮・韓国・台湾・中国等、アジアの諸教会及び在日のアジアの隣人に対しても強要する罪を犯しました。
2) わたしたちは、天に国籍を持つ「神の民」であるにもかかわらず、天皇制国家の臣民であることを誇りとし、主の御心に従うより、天皇の意思に従うことを優先させました。その結果、天皇中心の国家主義をアジアにまで広げようとする国策を、「神の国」の実現であるかのようにみなし、植民地支配に協力する罪を犯しました。
3) わたしたちは、聖書を通して、人の命の尊さ、隣人を愛することの大切さを教えられながら、「敵」を憎み、皇軍の勝利のために祈り、軍用機の献納など、戦争に協力しました。また、多くの若者を戦地に送り出し、占領地に教師を派遣し、軍部への協力を呼びかけました。あの戦争で流された多くの血の責任は、わたしたちにもあることを懺悔告白します。
4) 「教会はキリストの体であり、一人一人はその部分です」。わたしたちは、同じ教団に属する旧6部・9部の教会が、国家から弾圧を受けたとき、これを見放して、教師職を剥奪し、教会の解散処分を黙認しました。また戦後24年間、かつて教団の一部であった沖縄の教会を、米軍統治のまま放置し続けました。1969年、教団は沖縄キリスト教団と合同しましたが、沖縄戦の傷跡と米軍基地のもとで呻く沖縄の人々の苦しみを真摯に受け止めることができませんでした。同じ「主の体」に属する一つの部分の痛みに対して無感覚なわたしたちの罪を懺悔します。
わたしたちが、主なる神と隣人に対して犯した罪は、計り知れません。主よ、どうかわたしたちの犯した罪をお赦しください。わたしたちの愛する日本基督教団が、再び同じ過ちを犯すことがありませんように。わたしたちが、常に主の御言葉に聴き従い、「地の塩」・「世の光」として、この国と世界に対する使命と責任を果たしていくことができますように。わたしたちが、主にあって一つとなり、共にこの世に和解と平和を生み出す働きができますように。主よ、わたしたちを助け導いてください。
アーメン。
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