関東教区「日本基督教団罪責告白」Q&A


Q1 関東教区「日本基督教団罪責告白」とは何ですか?

A: 関東教区が自らの主体性をもって日本基督教団の成立、戦時中、敗戦後の歴史検証をして「日本基督教団罪責告白」として告白しようとしているものです。
  日本基督教団はこれらの罪責を神と隣人との前に告白し、悔い改めて、新しい出発をするべきでしたが、それをしないまま今に至っています。
  関東教区は「日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同のとらえなおしと実質化」と取り組む中で沖縄の諸教会への謝罪表明をし、教団の歴史検証をはじめました。そして、関東教区常置委員会は、まず関東教区自らがこのような歴史を踏まえて「日本基督教団罪責告白」をすべきであると考えるようになりました。これが関東教区「日本基督教団罪責告白」です。
歴史的経緯 
1999年教区総会 関東教区「日本基督教団罪責告白」検討委員会の設置
2002年教区総会 関東教区「日本基督教団罪責告白」作成検討委員会の設置
2010年教区総会 関東教区「日本基督教団罪責告白」(案)提案



Q2 何故関東教区が「日本基督教団罪責告白」をするのですか?

A: 本来は日本基督教団こそが自らの主体性において罪責告白をすべきです。しかし、これまで教団は戦争責任告白をしましたが罪責告白はしていません。関東教区はQ&Aの1で触れましたように、教団の歴史検証を踏まえて日本基督教団は罪責告白をするべきだと考えるようになりました。そこで、将来に教団が罪責告白をする時を願いつつ、教団の一部でもある関東教区から日本基督教団罪責告白を始めようと決意したものです。


Q3 「罪責告白」の聖書的根拠はどうなのでしょうか?

A: イエス・キリストの宣教は「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」という言葉で始まっています。悔い改めとは、罪を告白し、主の赦しを請うものです。
 ヨハネの手紙(1)8:9には、「自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理は私たちのうちにありません。自分の罪を公に言い表すなら、神は真実な方ですから、罪を赦し、あらゆる不義から私たちを清めてくださいます。」とあります。「自分の罪を公に言い表す」ことが罪責告白です。
  ダビデ王は、預言者ナタンによって自分の罪に気付かされたとき、「私は主の前に罪を犯した」と懺悔告白し、詩篇51の悔い改めの詩を詠んだといわれます。その罪の告白こそが彼を新しく変えたのです。
  罪の告白は、直接自分自身が犯した罪だけに限定されるものではありません。モーセは、彼の留守中、民が金の子牛を作って拝んだ偶像礼拝の罪に対して、主の赦しを求めつつ、「もし、それがかなわなければ、どうかこのわたしをあなたが書き記された書の中から消し去ってください。」(出エジプト32:32)と祈っています。民の罪責を自らのものとして担っているのです。
  イスラエルにとって、民全体と個人は切り離しえない関係にあります。民の罪は一人ひとりの負うべき罪であり、一人の犯した罪は民全体の罪でもあるのです。これは「新しい神の民」である教会についても言えることです。哀歌5:7に「父祖は罪を犯しましたが、今はなく、その咎を私たちが負わされている」とあります。過去の罪責についても、聖書は現在の私たちと無関係ではなく、私たちが担い、主の前に懺悔告白すべきものとしているのです。


Q4 教区が罪責の告白をすることができるのですか?

A : 教憲・教規に照らして厳密に考えると、教区は罪責を告白する十分な条件を備えた主体とはいえません。というのは、日本基督教団の教憲6条によれば、教団の「教会的機能および教務を遂行するために教区を置く。教区は本教団所属教会の地域共同体であって・・」となっており、教区は信仰告白共同体である教団の教務を執行するための機関、また、地域共同体という中間的な機関であるにすぎないからです。関東教区が罪責告白を整った形で提示するのは、地域共同体としての教区が、自らが所属する教団の罪責を自覚し、学び、検証して、整理した形に整えて、日本基督教団全体の教会に罪責の告白を促すとともに、関東教区の各教会での罪責の告白を促すという性格をもつものです。罪責を告白するという行為は、きわめて教会的な行為ですから、教区がこのような形で全体教会と各教会に発議し、行動を促すことは大切な教務の責任を果たしていることになります。


Q5 自分の罪を悔い改めるのは分かるが、60年以上も経って、いまさら過去の日本基督教団の間違いを責めるのですか?

A: 日本基督教団の罪責を告白するということは、決して過去の罪を糾弾したり、過去の誰かの罪を責めることが目的ではありません。
 信仰告白の主体が信仰共同体である教会にあるように、罪責告白の主体も教会にあります。したがって、過去における教会(教団)の罪責が告白されないままである場合には、それはいつまでも負債として、それを継承する教会(教団)に残り続けます。
  そこで関東教区は過去の教団の罪責を罪責として告白することによって、現在を生きる教会としての神と隣人の前での責任を負いたいと願っています。
  罪責を告白することにより、今日から明日に向かう歴史の中で、教会(教団)が再び過ちを犯すことなく、主の正義と平和、命の道を証しする教会として新しく出発することになるのです。



Q6 戦争責任告白が既になされているのに、何故今罪責告白なのですか?
   1967年の鈴木正久教団議長名で出された「戦争責任告白」との違いは何ですか?

A: 戦争責任告白が「1967年復活主日」に発表されたことは、1944年復活節に「大東亜共栄圏にある基督教徒に贈る書簡」が発表されたことに関係しています。天皇を神とする日本的キリスト教をアジアの教会へ強制した過ちを取り消す意味がありました。「教団がふたたびそのあやまちを繰り返すことなく、日本と世界に負っている使命を果たすことができるように」「明日にむかっての決意」が表明されました。日本基督教団の新しい出発でした。アジアの教会との和解の道をひらくとともに、沖縄キリスト教団との合同を実現しました。
  しかし、戦時下の罪責の告白が十分になされているとは言えませんでした。天皇を神とし十戒の第一戒を犯した罪責の告白が欠落しています。また、教団成立を「天皇の大御心に対する感謝と大東亜共栄圏建設に邁進する」としたことの罪責の告白、沖縄と沖縄の教会に対する罪責告白がありません。(沖縄キリスト教団との合同のとらえなおしと実質化の課題です。)旧6部・9部(ホーリネス系)に対する罪責告白がありません。
  罪責告白は歴史検証を通して、教団の罪責を明らかにし、教団という同じ一つのキリストにつらなる肢として、罪責を告白し、担いつつ、同じあやまちを繰り返さないように決意を表明することにあります。さらに、罪責告白は教会の過去の罪責を問うだけでなく、「明日」にむかって、アジアと世界のすべての人々と共に、和解と平和を生み出し、神から委託された使命と責任を正しく果たしていくことなのです。



Q7 日本基督教団信仰告白と罪責告白はどのような関係にあるのですか?

A: 「日本基督教団信仰告白」も「罪責告白」も、神の恵みに対する応答として、重い意味を持つ「告白」ですが、告白する内容は、「信仰」の告白、「罪責」の告白と、違いがあります。「日本基督教団信仰告白」は、聖書が正典であり信仰と生活の規範であること、父、子、聖霊なる三位一体の神を信じること、キリストによる義認を信じる信仰によって救われること、教会の交わりと聖化などが示され、これとエキュメニカルな公同の教会の信仰告白である使徒信条と結びつけられています。この告白は、プロテスタント教会であるわたしたちの教会がよって立つべき信仰の基本条項を明らかにして、この教団に属する教会の共同の信仰を告白しています。
  「罪責告白」は、この教団の信仰告白にたって、礼拝し、宣教活動をし、信仰生活を送る主イエス・キリストの体である教会が、歴史において犯した罪と過ちを、あきらかに認識し、主なる神の前に罪を告白し、悔い改めて、キリストの体にふさわしいものとしての歩みに立ち帰るためのものです。キリスト者の日々の生活は、罪を悔い改め、恵みの主に立ち帰ることの連続であり、礼拝は罪の告白からはじまりますが、「罪責告白」は、とりわけ、日本基督教団の名において、教団成立時に、戦時下に、戦後処理に、海外諸教会や沖縄教区とのかかわりにおいて犯した罪と過ちを明らかにして、主の前に赦しを求め、主の赦しにあずかったものとして、傷つけ、犯した人々への謝罪と和解の働きへと自らを促すものです。「罪責宣言」とすべきだとの意見もありますが、日本語の語感からして、罪責は「宣言」するという姿勢よりは主の前にへりくだって懺悔告白すべきものだと考え、「罪責告白」としています。むしろ、「福音」こそ、主イエス・キリストによる救いの事実をすべての民に宣言されるべきものです。


Q8 日本基督教団はその成立時にどのような罪を犯したのですか?

A: 日本基督教団は、30余派のプロテスタントのキリスト教会が合同して1941年に成立しましたが、成立当時、大日本帝国憲法のもとにあり、宗教団体法や治安維持法を通して宗教団体に対する国家の強い統制下でこの合同が行われました。その合同は、本来の教会合同において検討すべき各教派の教義や教会制度についての十分な合意によるものではなく、国家の指導に従うものであり、数々の矛盾と体制に従わない教派に対する強制と切り捨てが行われています。また、成立時に制定された「教団規則」の中に盛られた「教義の大要」や、「生活綱領」、また、それをさらに展開した『日本基督教団・信仰問答(稿)』に表わされた信仰は、明らかにキリスト教の信仰とは異質のものです。主イエス・キリストの贖いを通して表わされた父・子・聖霊なる三位一体の神を信じる信仰ではなく、教団の本義は、「皇国の道に則りて、基督教立教の本義に基づき、国民を教化し、もって皇運を扶翼したてまつるにある」と言って、天皇を神として称え服従する信仰内容になっています。戦時下のものとはいえ、わたしたちはこのような信仰を公にした教会の伝統を未処理のままにひき継いでいるのです。また、教団成立後、日本の支配下においたアジアの国々のキリスト教会にも働きかけ、中国の東北地方に満州伝道会(東亜伝道会に改名)、台湾に「日本基督教台湾教団」、韓国・朝鮮に「日本基督教朝鮮長老教団」などを多くの反対を押し切って成立させ、「大東亜共栄圏」と称してそれらの国々の教会を「皇国の民」とするための国家の政策に協力し、神社参拝、宮城遙拝など、偶像礼拝を推進する働きを積極的に担いました。さらに、詳しいことは、資料集・『罪責を告白する教会‐真の合同を目指して』をお読みください。


Q9 日本基督教団は戦時下にどのような罪を犯したのですか?

A: 教団の名において戦時下に犯した罪で、知られているものと、知られていないもの、総体的なものと個別的なものがあると思いますが、「罪責告白」で取り上げているのは、文書として残されたものに限っています。その中でも、礼拝前に、「君が代斉唱」、「宮城遥拝」(皇居に向かって拝礼すること)や「大麻奉戴」(たいまほうたい−伊勢神宮などから授与された神符を納めた神棚のようなものに向かって拝礼すること)を「国民儀礼」として行うことように指令したことや、「大東亜共栄圏」の諸教会に宛てた手紙によって、皇国に翼賛する「日本的キリスト教」に賛同するようにと偶像礼拝を推奨したこと、その他、軍用機献納、戦勝祈願などのことが挙げられています。当時の日曜学校で教えられた内容を見ても、キリスト教の信仰とは到底言えないような内容のものが多く残されています。
 また、旧6部・9部(ホーリネス系)に対する国家の弾圧に対しても、これを黙認し、教師の投獄や教会解散などの処置に対して抵抗するどころか、教師籍剥奪などの処置で体制に迎合しました。そのほか、多くのことがありますが、さらに、多岐にわたりますので、詳しいことは、資料集・『罪責を告白する教会‐真の合同を目指して』をお読みください。



Q10 これらの罪に対して日本基督教団は戦後、どのような対処をしたのですか?

A: 戦後「一億総懺悔」という形で、キリスト者の賀川豊彦らによって日本の社会に敗戦の中から立ち上がるための促しはありましたが、この懺悔は、敗戦にいたって天皇に対して申し訳ないという意味の懺悔で、主なる神に対して犯した罪を認識し、告白し、悔い改めるものではありませんでした。戦後、新しい教団規則が制定され、かつての規則にあった皇国の道に従うなどを記した「教義の大要」などは省かれましたが、そのとき罪を告白した上でそのようにした事実はありません。その後、教団は教憲・教規の改定、信仰告白の制定と、合同教会としての体制を整える働きが続きます。しかし、明確に、教団成立や戦時下の戦争協力などにおいて犯した罪を認識し、告白する姿勢はうかがえません。1967年に、当時の教団総会議長鈴木正久牧師の名において出された「第2次世界大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(戦責告白)は、戦時下において犯した教団の罪を明らかにし、告白するものでしたが、この告白は、主としてアジアの諸国の教会に対して犯した罪に対して謝罪を表明するものです。この「戦責告白」が嚆矢となって、日本の社会にも大きなインパクトを与え、日本の戦争責任の自覚を促したことは確かですが、未だトータルな「日本キリスト教団の罪責告白」には至っていません。そのために、更に歴史的事実に立った罪責の告白をし、そこに立って、日本基督教団の教会を形成してゆくことが望まれます。


Q11 沖縄キリスト教団と日本基督教団の合同のとらえなおしがどうして「罪責告白」と結びつくのですか?

A: 関東教区は「日本基督教団と沖縄キリスト教団の合同のとらえなおしと実質化」という教団の課題の中で、沖縄キリスト教団との合同議定書前文にある「裂け目を克服する」道を求めました。そして、歴史検証をし、教団の罪責告白の必要性を明らかにしました。戦後日本基督教団は新しい憲法の下で、信教の自由が保障され、宗教法人法に基づく日本基督教団として出発しました。しかし、日本基督教団九州教区に属していた沖縄支教区は米軍の統治下になり、日本国憲法が及ばないとして、日本基督教団から排除しました。私たちの教団は、沖縄の人々と教会の犠牲と痛みを共有しないで、沖縄分断という国策に従う罪を犯しました。国家の法を超えて、主の教会の秩序に従って、沖縄の教会を教団の一員とすべきでした。このあやまちは1969年の合同の際にも繰り返されました。米軍統治下にあった沖縄の教会には、戦後も日本国憲法が及ばないことを理由に、戦前の宗教団体法が施行されていました。沖縄が日本に復帰する1972年を念頭に置いて、沖縄キリスト教団と日本基督教団は当時の教憲・教規を使って、合同を実現しようとし、合同議定書を策定しました。しかし、沖縄キリスト教団は宗教団体法の宗教法人であり、日本基督教団は宗教法人法の宗教法人であったので、宗教法人法上の合併には至りませんでした。1973年に沖縄に施行された日本国憲法と宗教法人法によって初めて、法的な合併が成立する可能性が生じたのです。
  しかし残念ながら、法的な手続きは実行されませんでした。ですから沖縄キリスト教団と日本基督教団が対等に合同したのではなく、沖縄の教会を日本基督教団沖縄教区に吸収する形で合同が実現したのです。
  このような日本基督教団の沖縄の教会に対する罪責を告白し、「裂け目の克服」の道を歩み始める必要があります。



Q12 日本基督教団の沿革史のなかで教団が「くすしき神の摂理によって」成立したとありますが、そのことがどうして「罪責告白」につながるのですか。

A: 日本基督教団が破れ多い歴史を担いつつ、なお、神の憐みにより、その摂理の中におかれていることは信じます。
  たしかに、教会合同は明治以来の日本プロテスタント教会諸派の祈りであり、その試みもなされてきました。しかし、諸教派の合同は教会制度の違いなど克服困難な課題があり実現に至りませんでした。それなのに、天皇を中心とする国家形成を目指す「国体」思想の下に制定された宗教団体法の下で、諸教派は教会論的議論をほとんどしないまま合同して日本基督教団となりました。自らの信仰的主体性における合同というより、国家の圧力の下に天皇を中心とする国家に使える教団として成立したのです。ですから、残念ながら罪責告白をして悔い改めてのちに「くすしき神の摂理により」と述べるのならともかく、それなしに、合同教団として成立した時の歴史的事実を無視して、また、教団の成立時を正当化するように、「くすしき摂理により成立した」とは言えないと思います。



Q13 罪責告白は誰が告白するのですか?罪責告白文の「わたしたち」とは誰ですか?

A: 「わたしたち」は日本基督教団に属する「わたしたち」です。教会の告白ですから、全体教会としての公同性を信じ、全体と個の関係を想起します。一人の罪は神の民全体が負う事になります。そこに連帯性があります。外国籍者の場合や旧6部・9部(ホーリネス系)に代表される抵抗をした人々、戦後世代も含めた戦争に加担しなかった人々も「わたしたち」に含まれるのかと問われることがあります。全体教会の一人として、連帯して担うことです。在日大韓教会の総幹事が関東教区の罪責告白に対する賛同を表明しました。また、韓国基督教長老会が「神社参拝ほか日帝への協力に対する罪責告白」を出していることなどは、被害・加害の関係を含みながらも、全体教会としての「わたしたち」の罪責告白に、加わることになります。「明日の教会」を共に担う祈りを共有したいと思います。罪責告白を通して、悔い改め、神に赦されて「明日の教会」を共に担う「わたしたち」です。


Q14 外国から来た人たち、特に日本が侵略したアジアの国々から来た人たちも、私たちの教会の礼拝に参加する機会が多くなっています。この人たちも罪責告白に参加すべきなのですか?

A: 礼拝に参加した人たちがすべて同じ思いで罪責告白に参加することはできません。それぞれが知り、自覚する程度に応じて真摯に告白に参加するのが実際のところでしょう。外国から来て日本の教会の礼拝に参加している人が、日本の教会の過去の罪を告白している姿に接するとき、真のキリスト者であれば、それを奇異なこととは見ないはずです。罪の告白に加わることは、誰であれ、礼拝者としての真実な在り方、生き方を問い直され、礼拝の心を整える時となるからです。
  日本が、また、日本の教会が戦争中の行動によって与えた深い痛みを覚えているアジアの人たちが、今日、日本の教会の礼拝に参加し、そこで告白されている罪責の告白に接するとき、そこに、キリスト者の本来あるべき姿を見るのではないでしょうか。その告白と悔い改めがどのような現実の認識と深みにおいてなされているかは厳しく問われると思います。しかし、それが真実であれば、そのような罪責の告白によって主の赦しを求めることにおいて、そこに和解の道が備えられているのを見出すでしょう。罪責告白は加害者として被害者に謝罪を表明するものというより、何よりもまず、神の前で真実に罪を告白することです。これは、被害者に対して謝ることよりも根源的なことです。「戦責告白」は、罪責の告白としては不十分なものでしたが、それがなされることによってアジアの国々の教会とキリスト者にもたらしたものは 、そのような和解の道を開くものであったことが歴史的に実証されています。



Q15 戦時下の国家による迫害・弾圧によって殉教者を出した教会(旧6部・9部など)もこの罪責告白をするのですか?

A: わたしたちが属している日本基督教団が過去の歴史において犯した罪は、現在その教団に加わっている教会すべてが、ともに負い、明らかに認識し、告白し、悔い改めて赦しを求め、主の御前にゆるしをいただくべきものです。迫害・弾圧によって殉教者を出した教会が、それによってその集団全体が罪なしとされると考えることはできないと思います。韓国の教会にみられるように、神社参拝や国民儀礼を拒否して殉教者を出した苛酷な経験を経つつも、その時代を生きた中で犯した教会の罪を認識し、厳しく自らを問い、戦後、深い罪の告白と主の前での新しい出発がなされているのです。ここにキリスト者の罪の告白の姿勢を学ぶことができます。旧6部・9部(ホーリネス系)の教会は、教師が逮捕されて拷問の末に虐殺され、教会は解散させられました。まさに、殉教の死を遂げたのです。この事実は、確かに覚えて、その信仰の戦いを学ばなけれればなりませんが、しかし、その教会にしても、天皇を神とし、偶像礼拝を行うことを拒否して殉教したわけではなく、再臨の教理を口実に検挙された経緯があります。 ホーリネス系の教会が、毎年この弾圧の経験を記念して礼拝をしていますが、その中でも、罪の悔い改めの祈りがされています。


Q16 どのような時に、罪責告白文・礼拝式文を用いて罪責告白をするのですか?礼拝順序の位置づけはどのようになるのですか?

A: この「罪責告白」は、「礼拝式文」の中に組み入れられるものとなっており、礼拝の中の、罪 の告白、悔い改め(懺悔)の告白です。これは、特に、「平和主日」や「創立記念日礼拝」などの 機会に、この式文を用いて礼拝することをお勧めします。また、教会の修養会や歴史を学ぶ学習会 などのプログラムの中に組み込んで、この式文による礼拝の時をもつことも有効な使い方となると思います。
  礼拝に用いる場合、この式文を礼拝のどの部分に置いたらいいのか、との問がありました。この式文の作成委員会では、礼拝学的な視点に立って、キリスト教本来の聖書的、公同的、教会共同体的な礼拝構造を意識しながら、私たちの「教団罪責告白」の礼拝式文を作成しました。礼拝の構造として、1)神の招きに応えて主の前に進み出ること、2)主のみ言葉を聞き、サクラメントにあずかること、3)感謝の応答をし、執り成しの祈りをすること、4)祝福と共に地の果てまで平和の福音を告げるものとして派遣されること、の4つの柱があります。私たちの「罪責告白」は、この構造の中ででは、初めの「主の前に進み出るところ」に置かれるべきものと考えることができます。実際に礼拝を行う場合は、この式文に続けて、聖書朗読、説教を加え、また、賛美と感謝、信仰告白、執り成しの祈りなどを加えるとよいでしょう。この式文に聖餐式を加えることも深い意味があると思います。
  しかし、リタージカルな構造の中で「罪責告白」をしなければならないということではありません。「罪責告白文」をみんなで読むだけでもいいのです。それぞれ教会に合った形で、この構造を意識しながら、工夫してこの式文を用いてくださればさいわいです。罪責の告白と共に、最後に、「赦しの宣言」と「平和のあいさつ」



Q17 教会で日本基督教団の歴史を学ぶための資料はありますか?

A: 関東教区「教団罪責告白」作成特設委員会は主として下記の教団から出版されている教団史に関する書籍を基礎資料として用いました。
1.教団の歴史的な資料を集めた「日本基督教団史資料集」、第1巻「日本キリスト教団の成立過程」(1930〜1941年)、第2巻「戦時下の日本基督教団」(1941〜1945年)、第3巻「日本基督教団の再編(1945〜1954年)、沖縄キリスト教団の形成(1945〜1968年) <編集=日本基督教団宣教研究所資料編纂:日本基督教団出版局、1997年>
2.教団史編集委員会編『日本基督教団史』(教団出版部:1967年)
3.日本基督教団日本伝道150年記念行事準備委員会編、『キリストこそわが救いー日本伝道150年の歩み』(日本キリスト教団出版局、2009年)
  その他に、多くの著者による研究、論文、出版物があります。関東教区「教団罪責告白」作成検討特設委員会編、『罪責を告白する教会-真の合同を目指して』にある、各論文の参考資料を見ると、さらに詳しく分かります。この資料集をごらんください。


関東教区「日本基督教団罪責告白・リタニー」

司式者:神よ、わたしたちは日本基督教団が成立とその歩みの中で犯し続けてきた罪責を告白いたします。
会衆:主よ、憐れんでください。
司式者:わたしたちの教団は1941年6月24日、30余派の福音主義教会の合同によって成立しました。教会合同は日本の教会の早くからの願いでした。しかしこの合同は当時の戦時下の宗教統制の国策に屈したものでした。
会衆:主よ、憐れんでください。
司式者:その中でわたしたちの教団は、唯一の神、唯一の主キリストへの信仰を告白しつつ、天皇を神とし、天皇を中心とする国家に奉仕する教会となりました。主の民であることよりも天皇の臣民であることを第一とした「日本的キリスト教」の過ちに陥りました。
会衆:主よ、憐れんでください。
司式者:わたしたちは礼拝において神を賛美しつつ、「君が代斉唱」、「宮城遥拝」などの「国民儀礼」を行いました。戦争の勝利を祈り、「大東亜共栄圏の建設」を神の国の実現としました。  
会衆:主よ、憐れんでください。
司式者:わたしたちは天に国籍を持つ「神の民」であるにもかかわらず、朝鮮半島や中国、台湾をはじめとするアジアの隣人と教会に、そして在日の隣人と教会に、天皇を礼拝することを強要し、アジア侵略の戦争に加担・協力しました。
会衆:主よ、憐れんでください。
司式者:わたしたちは同じキリストの体につながっていながら、旧6部・9部の教会を支えず、見捨て、教師籍を剥奪し、国家による教会解散を黙認しました。
会衆:主よ、憐れんでください。
司式者:わたしたちは敗戦後、神の前に罪を悔い改め、再出発をすべきでした。しかし同じ体質を保持し、九州教区沖縄支教区であった沖縄の教会を抹消しました。1969年2月25日沖縄キリスト教団との合同が実現しましたが、沖縄の人々と教会が受けた戦禍と、戦後の苦しみを、自らのものとして受けとめませんでした。
会衆:主よ、憐れんでください。
司式者:かつて1967年3月26日復活主日に、鈴木正久教団議長名で出された「第二次世界大戦下における日本基督教団の責任についての告白」はアジアの諸教会への謝罪表明として大きな意味がありました。しかしわたしたち教団の罪責は戦争責任だけでなく、教会のあり方全般に関わるものであり、何よりも神の前で懺悔告白しなければなりません。
会衆:わたしたちは神の前に教団の罪責を告白し、主の赦しを乞い求めると共に明日に向かっての決意を表明いたします。主よ、憐れんでください。
司式者:今日、日本を再び戦争のできる国にしようとする国家主義の流れが強くなっています。
会衆:わたしたちは主の前に日本基督教団の罪責を告白することで、主にあってひとつになり、明日に向かっての使命と責任を果たし、共にキリストにある和解と平和の福音を宣べ伝える教会の使命に仕えることができるように、主の助けと導きを祈ります。
一同:主よ、憐れんで下さい。アーメン。




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