2012年12月に第二次安倍内閣が成立して以来、安倍内閣は「日本を、取り戻す」とのスローガンのもとで、日米ガイドラインの改定、国家安全保障会議設置、特定秘密保護法、防衛装備移転三原則、集団的自衛権の行使容認の閣議決定、安全保障関連法といった、対米追従の戦争参加準備を進めてきました。また、それらに歩調を合わせるように、言論の自由への侵害が強まり、政府の意に反する報道等への抑圧は看過できないところにきています。
昨夏の安全保障関連法とその成立過程の問題点は、「立憲国家」を否定するものです。歴代の内閣法制局長官やほとんどの憲法学者たちが、憲法違反の法案であることを指摘し続けたにも関わらず、また、多くの知識人や若者たちが立ち上がり反対の声を挙げ、国民の共感を得ているにも関わらず、国会は政府与党の数の論理で強行採決を行いました。そのあまりの強権さに対して、国民の反対の声は強まることはあっても、弱まることはありません。多くの国民が、安倍政権が目指している国の方向に、強い危機感を抱いています。
この度、安倍首相は、7月に予定されている参議院議員選挙において、自民党の選挙公約の中に「憲法改正」をおいています。当初は衆議院を解散し衆参同時選挙を行って、憲法改正に向けた議席獲得を打ち出していましたが、昨今の情勢によって衆議院解散は見送られました。しかし、「憲法改正」に向けた自民党の動きは何ら変わってはいません。
2012年4月27日決定の自民党の「日本国憲法改正草案」では、第1条において天皇の地位を「象徴」から「元首」にするところから始まり、「国旗及び国歌」「元号」を憲法に明記し、それによって天皇を頂点とする国家体制を構築しようとしています。さらに、「戦争の放棄」を「安全保障」に変え、第9条を改正して武力行使を可能とする道を開くものとしています。また、「基本的人権の保障」「信教の自由」という「民主主義の原則」を制限し、「国家のための国民」体制を築こうとしています。
「憲法改正」が「日本を、取り戻す」ための最後のくさびであり、「憲法改正」によって「戦前への復帰」を目指そうとしていることは明らかです。
かつて日本は戦争遂行のために「国民総動員」体制を強め、天皇を神とする国家体制を確立し、それに従わない者を徹底的に弾圧しました。信教の自由は損なわれ、教育、思想、宗教への介入が行われ、国家への服従が何よりも優先されました。今、再び、同じ過ちの道に入っていこうとする国のあり方に対して、私たちは強く反対いたします。
「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」(旧約聖書出エジプト記20章3節)とあるように、私たちは決して天皇を元首とあおぐことはできません。
「平和を実現する人々は、幸いである」(新約聖書マタイによる福音書5章9節)とあるように、私たちは日本と世界の平和を守ることを教えられ、「彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする 国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。」(旧約聖書ミカ書4章3節)とあるように、戦争へと向かうあらゆる動きに反対します。
また、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」(新約聖書マルコによる福音書8章36,37節)とあるように、一人ひとりの命の尊さを脅かそうとする動きに反対します。
私たちは、国を導く方々のために祈り、平和主義と国民主権に基づいた政治が行われることを祈ります。そして、神からゆだねられている「地の塩・世の光」(新約聖書マタイによる福音書5章13節以下)としての役割を果たし、国が正しい道へと導かれるために声をあげていきます。
[2016年5月17日(火) 第66回関東教区総会にて可決]
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